はなびのラジオ

やってみたこと、気になったことを少しずつ。

6/30 最近こんなことを考えるようになった

・・・って、全然計画してたことやってないじゃなーい!!
本当はTRPGのシナリオ回して感想とか、旅行のあれこれとか、書きたいのにー!

でも、その日に考えたことを日記がわりにここに書くのもブログらしいっちゃらしいしいいんじゃないかなって。笑

 

超絶身の上話になっちゃうので申し訳ないのですが、
でもでも私のブログって誰も見にこないし、いつか誰かが見つけてくれたらいいなくらいだし。
今日くらい、長く語る感じになります。ごめんね。

 

まあまずは沖縄の綺麗な海でも見て。

 

じゃあ、始めます。
まずは長い長いプロローグから

 

私が14の時に両親が離婚して、成人するまで母親と母方の親戚には一切会わずに過ごしてきました。それから父親にずーっと育てられきたってことです。

ある日曜日、遊びに行った父方の祖父母の家で「もう家に帰りたくない」と言ってから、母親が家を出て実家に帰って、入れ違うように私が家に戻って。だから最後に母親と交わした会話も何も覚えてない。多分なにげない普段通りの会話だったんだろうけど。

私は当時とにかく母親に会いたくなくて、それで「私に近づかないで」とお願いまでしました。
それでも競技大会に来て接触してきたり、贈り物をしてきたり、手紙を送ってきたり。私は母親が何を考えてるのか、どうしたいのかが本当にわからなくなって、もっと怖がるようになっちゃいました。

ある昼、私の携帯に母方のおじいちゃんから電話がかかってきました。中学生の私は電話にでたけど、混乱しちゃって電話口で泣いちゃったの。
何て言えば良かったんだろう?って今でも考える。私は母親はあまり好きではなかったけれど、おじいちゃんのことは大好きだったから。でもおじいちゃんの娘を嫌う私を、おじいちゃんが好くはずないと、考えて、それで何も言えなかった。

それが最後。私とおじいちゃんが声を聞いて会話したのは。

おじいちゃんからはそれから、毎年のように畑で採れたじゃがいもが送られてきた。これは離婚前も同じで、段ボールいっぱいの芋と、A4にマッキーで「たくさん食べて元気に過ごしてください」と乱雑な字で書いてあって。

 

一旦沖縄の写真入りまーっす
3月に沖縄バイク旅してきたから、その記事も書けたらいいな。

 

 

17の時、父方の祖母が亡くなりました。
その数年前からあちこちに癌が見つかって、転移してまた見つかって、そうして萎んでいくように亡くなっていった。

こんなにあっけなく人は老いて、私を置いていってしまうのかと、その時呆然としながらなんとなく感じたのを覚えてる。

実は上に書いたおじいちゃんとの電話の時、隣には亡くなった祖母がいて、携帯を握りしめる私からそっと取り上げて電話口を代わったのね。そうしてこう言ったの。
「孫はあなたとお話ししたくないみたいんなんです」って。
違うよ、そうじゃないんだよ、って思いながら言えなくて。

 

さてさて、そんなこんながありまして私も大人になっていきました。
やっぱり考えなくちゃいけないな、と思うことが一つ。

次に会う時が葬式、なんてことはやだな。

母親はまだわかんない、でもおじいちゃんとおばあちゃんにはそろそろ会う時なんじゃないかな?

 

最近こんなことを考えられるようになりました。

ゆっくり大人になればいいね。