はなびのラジオ

やってみたこと、気になったことを少しずつ。

映画鑑賞したよ『赤い金魚と運動靴』

1997年のイランの映画。
以前にどこかでタイトルを見かけたことがあって、TSUTAYAの更新のついでに借りてきちゃいました〜

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子どもらしい感性とユーモア、妹をおもう兄、誠実だが不器用な父。
初めてイランの映画をみましたが文化の勉強にもなりつつ、見慣れないペルシャ語の文字に新鮮さを感じつつ、最後まで楽しく観ることができました。

イランでは男女で別々に教育を受けるんだなーとか(調べたら高校まで別学らしいですね)、
街並みを見るだけでもこんな風景なんだな、と内容以外も発見がたくさんでした。
はぁ、イラン行きたいな〜

 

さてさて。
兄のアリが妹ザーラの靴を無くしてしまい、家が貧しいために両親にそのことを伝えることもできずに兄妹は靴を交代で履いて生活することになります。
最初はこれどうするんだろう?と思っていたのですが、これこそ男女別学だからなせる技なのかも…!

ザーラは同じ学校に無くしたはずの自分の靴を履いた少女を発見しますが、その子のあとをつけ、その家の父親が盲目だということを知ります。
またアリは学校の代表としてマラソン大会にエントリーします。第3位になって景品として「運動靴」をもらうためです。

 

まあ作品のざっくりとした話はこれくらいにして、私がこの作品の印象に残った部分を雑に列挙していきたいと思います。
感想を長い文章にするのが苦手なので、ご興味のある方だけ、ざっと見てください。

・生徒が履いているのは運動靴というよりも動きにくそうな靴ばかり。そして「体育の時には運動靴を履いてくるように」という教師もいる。でも、それ以外の靴を持っていない子が大半なんじゃないかな?とも思う。
・繰り返されるザーラのセリフ「でも靴を失くしたのはお兄ちゃんじゃない!」。責められるアリが、自分が得たものを妹に与える。お兄ちゃんらしい、と言われる行動?
・ザーラがアリの靴の片方を溝へ落としてしまう。ザーラ自身「恥ずかしい」や「履きたくない」と言っていたが、内心は現実的なことも分かっていたはず。靴を貸してくれていた兄への申し訳なさなど。
・子ども時代によく感じていた、「もうどうにもできないんだ!」という絶望感だったり不安感だったり、よく描かれていたように思う。そういうことの大半は大人になってしまえば「どうにかなる」ことになるんだけれど、子ども時代に感じる運命の残酷さはあの時期特有だよねぇ
・ザーラの靴を履く少女の父親が盲目だと知った時。二人が感じたのはなんだったろう。そして、少女が「あの靴はもうないわ」と言ったのを聞いたザーラのやるせなさはどれほどだったろう。
・3位を狙ってとるのは難しい。。

そして最後におや?っと思った点。
どうして映画中で父親がアリとザーラに新しい靴を与えるシーンを描かなかったのか?

やっぱりここですよねー

一緒に見ていた父は「え、今ので終わるの?」と拍子抜けしてるようでした。
私自身も同じように感じました。どうせならあの兄妹が幸せな顔をしているところを見て終わりたいじゃないか!と。

でも描かれていない以上、想像するしかありませんよね。

あのエンディング時点での兄妹2人のシーンは言葉すらありませんでした。なんなら父親が靴を購入するシーンもなかったかも?

 

もしかしたら。
あのまま2人が父親から靴をもらっても、表向きには喜んでも内面はちょっと複雑だったのかも?
…なんて考えたりして。

 

長くなったのでここまでにします。
ではまたノシ